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2015年7月16日 (木)

正真正銘の身辺整理

独立を目論んでから、事あるごとに、室内を片付けてきた。
しかし、この10日ほど、領収書の束を貼りつけたりしているうち、
またまた、押入れ整理の態勢に入ってしまった。
まず、カタログ系、捨て。(工事系のものであっても、だ)
雑誌系、捨て。
後生大事に取ってあった、共産党宣言等の古い文庫も、捨て。
派の違う、短歌本、捨て。
さらに、黄色く変色した昔のスケッチブック、絵になっているページだけ取っておいて、
あとは、捨て。(これが10冊以上)
カセットテープ、ネットでダウンロードできないものを除いて、捨て。

これで、押入れはずいぶん空きができる。

物質面だけではないのだ。
年賀状の返事書きを、放棄したら、そのときすべてが終わったのだ。
奥武蔵研究会の爺いたちは、どうやら私を格下げして、身辺に置いているらしい。
年賀状のコメントも、「(会報の絵に関して)、あなたの作品で頑張りなさい」
と命令語。
この人は、前々会長が、呆けたの、認知だの、みんなに触れ回っているひと。
さらに、もう一人の爺いは、散々編集委員会に誘ってくるので、
万端の準備で、編集に行く、と言ったら、しらばっくれて、「へぇ~、部屋が入らないんだよね~」
これは、もう5年以上も前のこと。
何事もなくお付き合いしてきたけれど、
昨年の山行で、珈琲を付き合ったら、会計に手間取っている私を
遠くから、大声で”呼びつけ”る。
勘弁してよ。あなたの奥さんじゃないのよ。
このひと、会の男たちのご執心のおばさんの話をしたら、機嫌が悪くなった。
編集委員や、幹部職に、このおばさんを置いているのは、この爺い。
どいつもこいつもご主人様気取り・・・とほほ。

そんなこんなで、趣味のサークルとは、健康上必要な、ランニング倶楽部以外は、
お付き合いを断つことにした。
みな、目的は「社交」なのだ。
仕事を持っているわたしは、こんなところで、ジジババと遊んでいる暇はないのだ。
70も過ぎた、爺さん婆さんが、山行の帰りや、定例会議の後に、
男女つるんで、酒を飲みに行く・・・・。
この会、14年前はこんな会じゃなかったのに・・・。
そもそも、70過ぎた男と女が、酒を通して、胸襟を開けるわけなどない。

さらに、俳句をやって、7,8年になったが、
金子兜太の系列の句会に参加して、解ったことは、
みな、十七文字で名前を売らん、と俳句にいそしんでいる人が多い、ということ。
結社の長(金子兜太)などは、己が覇権を確立せんと、
身辺に、お気に入りの女性を立てて置くのは常道。
俳句、短歌の道を究めるのに、「パパさん」は必須らしい。
句会のリーダーは、そのお気にの代表。
私は彼女の俳句は認められなかった。
年賀状暑中見舞いの添付俳句のために、句会参加しているだけの私は、
勘定の外らしい。
ここでも、小さな小グループを立てては頭に収まる男たちが数多。
結社ほどの規模じゃないにせよ、だ。

どこへ行っても覇権、覇権。
だったら、仕事で覇権握れば?
仕事仲間の場合は、10年、年賀状の葉書が来なくても、
10年経って、ふと、返事が来たりする。
仕事が絡んで来るためだ。
でも、遊びや、真に友だち関係を求めるひとが、
年賀状の返事を寄越さない・・・これは、社会人としてパスしてきたのだけれど、
もう、こういうひとには、年賀状は止めることにした。
そして、止めた相手は、ほぼ親戚従妹たちだった・・・とは・・・・とほほ。

今夏は、100枚で納まるであろう、暑中見舞い。
考えや生き方の違うひとに、すり寄るつもりはなかったのだけれど、
素人とは、追ったら最後、こっちが従者にされてしまうのだ。
仕事とは別個にしなければならない、と気づいたわけだ。
惰性慣性で、葉書を出すことは、もうやめる。

教会も、市川というハイソが目的の、社交目当ての人間とは、
お愛想も言うことは止めようと思う。
失業者か老人だけだよ、教会に週に何度も通うのは。
教会はお祈りするために通うんだ。
忙しいの、わたしは!

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コメント

後日談・・・16年1月7日
昨年10月の父の話で、わたしを無視し続けた叔母は、どうりで父に取り入ったのだった。
「お兄さんが死んだら・・・・・お姉さんのお世話を(だから家計を預かる云々)。
世話するにも、叔母はびっこでスーパーひとつ満足に通えないのだ。
実際、叔母たち姉妹には、母が病気ということになってるので、
「お姉さんが死んだら、1年でも2年でも後妻の椅子を獲って」
ということだろう。
父に何十年も懸想してきたのだろう。
ご丁寧に、「苺には任せないで」と言ったのだそうだ。
どうやら父はかわしたのだろう。
腹を立てた叔母は、父母にすら、年賀状の付き合いをやめてしまった今春。
やめたって、叔母の住んでる土地は、死んだ祖父母のために母がお金を出してる。
せいぜい、叔母が「死んだ」ら、土地の権利を主張するつもり。

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